笑いと救い

2013年5月20日の第199回研究会は、立命館大学の鳶野克己教授「彼岸の笑い/笑いの彼岸 ~生きることのおかしさへ~」という講演でした。ひとつだけ強烈に印象に残ったお話があり、それ以外のことがまったく思い出せません。めったにないことですが、笑いよりも色々と考えてしまった一日でした。その強烈な話とは、拗ねている?(グレている?)息子と母親の会話です。

「何で生んだんや」
「うーん、あんたが生まれるとは思わんだった。たまたま。なんでやろ。
あんたを望んだのではない。たまたまだったから良かったと思う」

目標や支えがあると、頑張れるし、張り合いも出ます。でも一方で、それが失われると、とても落ち込んでしまう。生きがいに支えられる人生は、裏を返せば、生きがいに縛られる人生です。笑いは、執着している自分を「ああ、あほらし」と自ら感じ取り、ずらし、緩めていきます。「目標や支えを失ったら生きている価値はない」という思い込みを、逆転する効果が笑いにはあります。

誰も望んで生を受けたわけではない。気付いたらここにいた。不思議なことです。生まれて今ここにいるというこの不思議な恵みを、受け取るか、受け入れるか、味わうか、与えられたものをどう再構築するかが問題です。そのまま祝い、喜び、笑う。それで十分だとするのも智慧のある生き方です。

変わらないもののない世界、無常の世界。それなのに、安心したい、安定したい、根を張りたいと思う。だから、逆に穏やかさが覆されるのです。一見どうしようもない現実を目の前にして、ただ嘆き悲しむのではなく、現実を受け止めつつ、その意味するところを変容させ、ある種笑いの対象とする。それで救われることがあると思います。